週刊文春の芸人さん報道などを見て思うこと

最近、人を傷つけるような言葉や行動が、昔よりも厳しく追及されるようになりました。それをして、「モラルに厳しい時代になったね」ともよく言われます。

でも、それは本当に時代のせいなのでしょうか?

少なくとも私は、最近「駄目」とされるようになってきたもののことは、子供の頃からずっと嫌でした。TVのセクハラも嫌でしたし、イジリにしても、全てとは言わないまでも、その多くを見るたび「これはイジメと同じではないか」と感じていました。そうした行動について、なぜ周りの人が楽しく笑うことができるのか、今ひとつ理解できませんでした。

ただ、当時はそんなことを言っても「細かい奴だなぁ」「つまらない奴だなぁ」と言われる風潮がありましたので、何を言っても届かないまま終わってしまっていたように思います。

「息苦しい時代になったなぁ」という人がいます。そういう人たちにとってはそうなのでしょう。しかし私にとっては「ずっと息苦しい思いを抱えてきたところ、最近になってやっと少しずつ安心できるようになってきた」というほうが正しく思えてならないのです。

そしておそらく、私のような人も少なくはないはずです。ただ皆、私と同じように、風潮に口をつぐまされたサイレントマジョリティだったのだろう、と、何となく思っています。

だから私は「昔は『許されていた』けど今は駄目に『なった』んだ。だから価値観をアップデートしていかなきゃ」というような言説には、あまり賛同できません。

昔だって、嫌な思いをしていた人の数は今と同じはずなのです。ただそうした人たちの声が届いてこなかったせいで「許されたことになってしまってきた」だけ。された側からみたら、別に昔から、許されてなんかいませんでしたよ。

そうして犠牲になってきた人たちのことを、決して忘れないでいてほしい。そう切に願う今日この頃であります。

原稿:中山ゆうすけ
編集:紀まどい

※中山ゆうすけ事務所は、若者の政治参加を促進するため、大学生スタッフを受け入れています。当ブログは中山本人が執筆したのち、大学のサークルで文芸活動をなさっている紀まどいさん(ペンネーム)に編集を依頼しています。

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